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研究・調査活動―シンポジウム・ワークショップ

中国環境史ワークショップ「中国環境史の視角とその史料をめぐって」

・日時:9月18日(金)13:30-17:10
・会場:明治大学駿河台校舎 研究棟4階第1会議室
・報告者と報告テーマ:
上田信(立教大学)
「文明の交易史観と生態環境史」
クリスチャン・ダニエルス(東京外国語大学・東洋文庫)
「雲南の天然資源保護・管理に関する史料とその解釈-18世紀~19世紀を中心として」

第1セッション 司会:飯島渉(青山学院大学・東洋文庫)
報告:上田信「文明の交易史観と生態環境史」

 上田氏は、中国の環境問題に中国という地域枠のみでアプローチすることには限界があるとし、東ユーラシアというより広い地域枠から考察することを提唱した。また、この提案の実践として、人間のみが行う営為である交易に注目した交易史観による記述を試み、以下のように議論を展開した。

 まず、「文明の交易史観」が提示された。文明とは異文化のあいだで取引を行うルールを統制するシステムであり、効率的な交易を行う文明は不効率な交易を行う文明を滅ぼし、交易の形態は効率性を高める方向に変化していく。最終段階において市場に行き着くという。

 ここにいう文明は、生態系と人間とのあいだに成立する二種類の関係と結びつけて理解される。第一の関係は、人間が生態環境とともに生きるあり方、第二の関係は、人間が生態環境から一方向に利益だけを上げようとするあり方である。前者においては、たとえば「2番目のタラの芽をつんではならない」など、文字では残されないが伝承されていくものが機能する。これは「文化」である。後者においては、たとえばタラの木を保護するために入山規則が設けられる。こちらが「文明」である。

 次に交易であるが、これは通貨および金融によって秩序付けられたシステムである。タカラガイを例に取り、人がどのように通貨を持つに至ったのかを追跡すると次のように論じられる。

 タカラガイは8世紀から13世紀にかけて、インドからインドシナの広い地域で通貨として用いられていた。当時の雲南はこれらの地域と盛んに交易を行っており、雲南にも大量のタカラガイが流入した。しかしモンゴル軍によって大理国が滅ぼされ、さらに中国がモンゴルに編入されると、雲南は中国内地と直結されるようになり、中国内地から大量のタカラガイがもたらされるようになった。すると雲南の経済バランスが崩れ、ついにはタカラガイの持込を禁止する議論が生じたほどであった。

 以上の事実は、安定的に供給可能であるという均一性と、現地では入手しにくいという希少性との危ういバランスのなかで、タカラガイに価値が与えられていることを示している。すなわち貨幣とは両者のバランスによって決まるものと考えられる。

 このように述べたあと、上田氏はタカラガイが貨幣として機能しなくなったモンゴル帝国以降の交易システムについても考察を行った。タカラガイ以降の東ユーラシア世界では、基本的には銀を軸にする交易が行われていた。しかし17世紀には銀が不足し、銀を節約する交易システムの模索が国家レベルで始まった。その結果、18世紀には産業化時代が到来した。産業化は、世界商品を国産化することによってその生産拠点を国内に造りだそうとする試みと、銀だけではなく複数の商品との交易を組み合わせて支払いを行うシステムの構築という二つの側面において発生した。また、18世紀の世界商品には奢侈品から嗜好品へという性質の変化が見られ、これもまた貴金属によらない商取引を可能にした。なぜなら、嗜好品はいったんその味を覚えると、なかなかそれなしでは生活できなくなるという特徴を持っていたからである。やがて複数の商品との組み合わせによる交易の拡大は、世界的規模での金融センター設立に至るのである。

 最後に上田氏は、今後、東ユーラシアの交易が生み出していく環境の変化が深刻となるであろうことを示し、その変化の幅が、当該地域の生態環境が回復可能な範囲に留めておけるような金融システムの構築が課題であると示唆した。

質疑応答
1 「文字=文明」という枠でよいのかという質問に対し、「異なる文化背景を持った人がどのように約束事を守っていくか」が重要であり、たとえ文字として記されていなくても、約束事を破った場合に罰則が行われるという理解が二つの異文化にまたがる形で存在していれば、それは文明と見なせるとの回答があった。

2 「地域」「区域」という言葉と「region」「area」という言葉をどのように区別、整理しているかという質問に対し、モノが安定して循環している状態を支えている範囲と理解しており方法論によって変化すると回答があった。

3 今回の報告はマクロ経済史との関わりの中で経済史を論じているが、ほかに気候変動など地球史という点から論じることも可能である、報告者は環境史をどのように位置づけるのか、という質問に対しては、環境史において重要なものはモノ・エネルギーの流れであり、これを分析するには自然科学の研究者の協力が必要であると回答があった。

4 今回の報告をグローバリゼーションが環境破壊の一端を担うというイメージで交易を捉える試みと理解してよいか、また、環境破壊のペースは過去と現在では速度が違うように思われるがその点をどう考えているのか、という質問に対し、「破壊」という言葉はそれ自体が価値観を含んでおり、歴史学では基本的に生態環境の変化として理解するべきだと回答があった。また、永続性(sustainability)をどう捉えるかという問題は今後の課題であることが示された。

5 タカラガイを好む文化の帯が図として示されたが、これはタカラガイが好まれたからか、あるいはこのようにしか広がらなかったのか、または、中国の通貨を使う地域(コア部分)の周縁にそのような地域が広がっていると理解するべきなのかという質問があった。これに対し、内陸部にも交易路はあるのではないかと考えており、また雲南においてもタカラガイは一定のルートを通じて移動していったように思われる、殷代のチベット地域に見られたタカラガイ好みともいうべきものまで遡ってみる必要がある、と回答があった。

第2セッション 司会:久保亨(信州大学・東洋文庫)
報告:クリスチャン・ダニエルス「雲南の天然資源保護・管理に関する史料とその解釈-18世紀~19世紀を中心として」

 ダニエルス氏は、自然保護の必要性を住民が自発的に認識したことが歴史上あったのか、あったとすればどのようなものであったのか、という問題意識から、雲南の天然資源の保護管理に関する調査を行った。

 報告では、天然資源の保護・管理について次の点が指摘された。①人間は自然環境と均衡を保ちながら生活を営む必要がある。②しかし、人間の営為によってバランスを失った自然環境は住民に被害をもたらす。③人口が増加すると、天然資源をめぐり競争原理が持ち込まれ、天然資源の持続的利用を確保するために、保護・管理が必要となる。④人的要因は天然資源をめぐる競争を激化させる。ある人的要因は天然資源の減少、自然環境の劣化を引き起こすが、ある人的要因は天然資源の保護と資源環境の回復につながる。人的要因としては、人口増加・換金作物の導入・市場経済の強化・流通手段の進展・政府の政策・近代農業技術の導入などが挙げられる。⑤土地利用の過程で、自然環境が改変される。

 調査対象の時期は18世紀・19世紀であることが示された。その理由は次の通りである。①20世紀雲南のデータには問題が多い。②1770年代から1865年にかけて、漢族の経済移民によって雲南の人口が急増した。③この時期に反乱が頻発したが、背後には漢族移民による土地開発の進行に伴って天然資源をめぐる競争が激化したことがある。

 調査は現地に残された碑文(環境関係碑文)の解読によって行われ、次の点が明らかになった。①碑文は特定の集団が天然資源の持続的利用を試みたマイクロレベルの実例を提供する。②石碑建立者は国家権力(告示)と民間(告白)の双方がある。③石碑建立は、決め事や命令を公表する手段であった。④規定は罰金を伴う効力を有していた。⑤建立者は取り決めの永続遵守を強く望んだ。⑥記念建造物としての機能があった。石碑は現地に建っているだけで、取り決めた内容を住民に植え付け、社会秩序の創生にも貢献している点で、かなり効力を有した。⑦石碑には人名を中心に意図的に削り取られた文字がある。これは都合の悪い歴史を人々の記憶から消去するためと考えられる。

 碑文によれば石碑の建立は公山(共有地)の紛争が原因となっている。ハニ族の地域に漢族が入って生じた紛争を例とすると、漢族移民の山地開発→生態資源の減少・枯渇→住民による山地利用を制限する規定の取り決め、というパターンがあったと考えられる。

 最後にダニエルス氏は、石碑に刻まれた規定は民間主導型環境保全運動の一種とみなすことができると結論した。石碑の建立は官権の指示によるものではなく、住民による自発的対応であり、禁約の制定に際しては民間から選出された役職者が参加している。ただし、禁約について参与者全員の合意は得られているものの、全員の遵守を約束するほどではなかったと考えられるという。

質疑応答
1 栽培されていた作物はどのようなものかという質問に対し、棚田では米、焼き畑農業の原型では陸稲また粟が栽培され、アヘンの栽培も行われていたと回答があった。

2 雲南には、福建のような風水の言説によって山を保護しようという発想はあるか、また少数民族の風水観はあるか、という質問がなされた。これに対し、現在の雲南人は雲南では風水は流行らなかったと言うが、解放前にはそうした発想はかなり存在したと推測されると回答があった。

3 碑文中に「漢夷人」という表現が見られるが、少数民族を「夷人」と彫ってある碑文は多いのかという質問に対し、そういった碑文は多い、一般に漢人と少数民族は別々に居住しているように思われがちだが、実際は村の中に混在して一つの村に住んでいたと回答があった。

4 漢字文化を共有できない少数民族の場合、少数民族の文字で記された碑文はあるかという質問に対し、山地民は独自の文字を持たないので、彼らのあいだでも漢字を用い、土司になる際には漢族の姓名に改めたと回答があった。

5 水争いのような事例は記録されているのかという質問に対し、漢族の文化が入っている所では、かなり細かいところまで水について規定してある、タイ系民族ではそのような例は少ないようであると回答があった。

報告者紹介
上田 信(うえだ まこと)…

1982年東京大学大学院人文科学研究科東洋史専攻修士課程修了。東京大学東洋文化研究所助手を経て現在、立教大学教授。中国社会史、環境史等を専門とする。主な著作に、『トラが語る中国史- エコロジカル・ヒストリーの可能性-』山川出版社、2002年や『中国の歴史(9)海と帝国―明清時代』講談社、2005年など。

クリスチャン・ダニエルス(Christian DANIELS)…
東京大学大学院人文科学研究科東洋史専攻博士課程修了。1992年東京大学より文学博士号取得。現在、東京外国語大学教授。財団法人東洋文庫客員研究員。中国技術史、中国西南部の少数民族史等を専門とする。主な編著作に、『貴州苗族林業契約文書匯編(1736-1950年)』東京大学出版会、2005年や『中国雲南耿馬傣文古籍編目』雲南民族出版社、2005年など。

文責・
関智英(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)
衛藤安奈(慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程)

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